「いよいよ、来週だな……」
「はい」
ある晴れた昼下がり、社長室にて。
俺はデスクに座る社長と向き合っていた。
来週、いよいよ。
俺の手がけてきたアイドル、天海春香の引退コンサートが行われる。
「本当に、これでよかったのかね?」
「……春香には、すまないと思っています」
引退を決めたのは、春香本人でも、社長でもない。
俺だ。
実際には、俺の 「引退させるべき」 という意見を、
社長が聞き入れたわけだが。
「天海くんの事もあるが……私は、君に聞いているのだ」
「………………………」
俺は周囲から朴念仁と言われている。
自分でもデリカシーに欠ける所が少なくないと自覚しているし、
そのことで人を怒らせることも しばしばある。
数ヶ月前の、大型ライブの前日。
その日は、当然 庶務に追われて忙しく、
自分でも忘れていたのだが、俺の誕生日だった。
そのことを思い出したのは、
春香が俺に巨大なケーキを作って持ってきてくれたからだ。
……俺へのプレゼントだとはっきり言われるまで、気づかなかったが。
もちろん春香も、ライブまでに他の雑多な仕事をこなしつつ、
綿密なレッスンを重ねて、体力的には限界だったはずだ。
こんな力作を作ってる暇があるなら、少し休んだらどうだ?
と言ったら、春香に泣きそうな顔をされたのを思い出す。
案の定、翌日のライブは散々な結果だった。
普段ならミスしないステップを踏み外したり、
キーを外していることに気づかないまま歌を歌い続けたり。
それでも なんとかアンコールまでをクリアし、
ライブ終了と同時に ぶっ倒れてしまったほどだ。
俺のために春香が相当な無理をしたのは、明らかだった。
さすがの俺も、その時に気づいた。
あまりにもまっすぐな、春香の俺への想い。
そして同時に、春香は仕事と恋を同時に こなせるほど器用な子ではない、ということに。
春香の引退を考え出したのは、その時からだ。
俺が彼女のプロデュースから外れる形で別れた後、
しばらく気持ちの整理をつけた後で、再スタートしてくれれば―――
「……すみません、社長。
様々なご助力をいただいて、ようやくトップアイドルまで登りつめて……
これから、って時に」
「……………………」
社長は嘆息して立ち上がると、
窓に向かい、ブラインドを上げる。
日差しに照らされても なお黒いスーツの背中。
「確かに、私の立場としては残念な事ではある。
しかし、あまり私を悪者にせんでくれたまえ。
アイドルの宿命とはいえ……
人並みに自由恋愛もできない彼女らを、
心苦しく思っているのは私も同じなのだ」
「……はい。
もちろん俺も、春香だって社長の厚意を理解しています」
「そうかね?
だが、君は この引退コンサートの後、
天海くんが復帰する事を前提で話を進めているではないか」
「春香は……今でも歌が好きだと、そう言ってくれました。
だからきっと、引退後も再びステージに立とうと思うでしょう」
シャッ
……と、ブラインドが閉まり、
再び社長が俺に向き直る。
「もし、彼女がアイドルを辞めてでも、
君の傍に居たいと願ったなら……君はどうするのかね?」
「―――――!!!」
もし、引退でナーバスになった春香が、そう言い出したら……
直情的な彼女には、有り得ない話ではなかった。
社長がまた一つ、嘆息する。
今度のは、明らかに呆れのニュアンスが入っていた。
「まだ一週間ある。
君自身の気持ちも、固めておくことだ」
「…………はい」
「君たちが どんな結論を出したとしても、
私は それを咎めたりは するまい。
それだけは言っておきたかった。 私の話は以上だ」
・
・
・
……春香は まだ若く、その上、輝かしい夢の真っ只中に居る。
俺ごときと その夢を、天秤にかけていいはずがない。
だから……彼女がアイドルで あり続けたいと願うなら、
俺の答えは決まっている。
・
・
・
――― 一週間後
―――ドームにて、天海春香引退コンサート
あの海 あの街角は
思い出に 残りそうで
この恋が 遊びならば
割り切れるのに 簡単じゃない
「「「「「う〜〜〜わっほい!!」」」」」
アンコール……
春香の "relations" がドームに響き渡る。
別れの曲にも関わらず、ユニークな曲調。
彼女ならではの、大胆なアレンジがファンに大ウケした新譜だ。
ラストに この曲を選ぶ辺りが、なんとも春香らしい。
『じゃあね』 なんて言わないで
『またね』 って言って
私のモノに ならなくていい
そばに居るだけでいい
ポタリ
スーツの胸元に、雨粒が落ちる。
……雨粒? ここはドームだぞ。
バカな。 なんで俺は、泣いているんだ?
歌が終わり、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
涙をぬぐい、ステージに目を戻すと、
春香も また、涙ぐんでいた。
・
・
・
全て やり遂げた春香を、舞台袖で迎える。
「おつかれさまでしたー! 大成功でしたね!
みんな、あんなに喜んでくれてっ!」
「ああ、素晴らしいフィナーレだったよ。
今日のこと、ファンは一生、忘れないと思う」
もちろん、春香の最初のファンである、俺だって。
「あのっ、プロデューサーさん。サヨナラする前に、
少し外、歩きませんか? 話したいことが」
「いいよ。……それじゃ、いこうか」
きっとこれが、俺と春香が過ごす、最後の時間になる。
そう思うと、春香と話したいこと……伝えたいことが、
数え切れないほどあったが、言葉として出てきてくれなかった。
言葉少なに、俺たちはドームを出る。
「ふぅ〜、外の空気、ひんやりしてて、気持ちいいです♪」
火照った体を冷やすように、
春香は手足を伸ばして外の空気に触れる。
衣装を着替え、いつもの服の春香だ。
「ステージの上はすごい熱気だったもんな。
……で、話したいことって?」
「あ、えっと……私、決めました。
これから先、どうするのか」
「お、明日へのヒント、見つけたのか?」
……もし。
もし、春香がアイドルで居続けることに疲れていたら……
「はい!私……。私、もうアイドル……」
「やめてもいいかなって、思ってました。
けど、やっぱり続けることにしますっ」
「……そうか」
……俺は、何を考えてるんだろうな。
「最後の曲、歌い終わって、思ったんです。
これだけの人が、私を応援してくれてる……」
「なら、このまま、走り続けるのもいいかなって。
すこし休んだら、また活動を再開します!」
そうだ、春香には、多くのファンが居る。
カムバックを望む声があれば、春香は それに応える。
でも、俺には……
「よし、がんばれ。応援してるからな」
俺は、明日以降 春香の担当を外れる。
だから、俺は春香を応援することしかできない。
すでに俺は、彼女のプロデューサーではないのだ。
それは自分にとって、物凄く悲しいことのように思えた。
急に春香の声のトーンが、緊張したものに変わる。
俺はもう胸がいっぱいで、黙って話を聞くことしかできない。
「そ、それで……ひとつ、お願いが」
「……言っても、大丈夫ですよね? あれだけ、
私のこと、大切にしてくれてたんだし。 よーし」
「プロデューサーさんっ。これからも、ずっと、
私といてください! お別れなんてイヤです!」
この一年間、春香と二人三脚で今日まで やってきた。
……俺だって、春香と別れたくない。
だけど……
「おいおい、いきなり、なんてことを……。
トップアイドルなんだし、俺の助けなんて……」
「必要ですよぉ! ここまでこられたのも、全部、
プロデューサーさんのおかげですし、それに……」
「も、もし、よかったら……私のこと、今より
もっと近いところに、置いてほしいなって」
……どうして、この子は こうストレートなんだ?
遠まわしに言ってくれれば、
鈍い俺なら、気づかずに……苦しまずに済んだのに。
俺の頭の中は真っ白になっていた。
もう、自分が何を言っているかすら わからない。
「は? って、おい、それ……
ヤバイ意味じゃないだろうな?」
「全然、ヤバくないです! だって、これって、
自然にわいてきた気持ちだしっ!」
「それぐらい……プロデューサーさんのそばに、
いたいんです……」
『そこまで、思ってくれるのは、うれしいけど
……ここからは、やっぱり別の道をいこう』
彼女を拒絶するために、用意しておいた言葉。
だが、それは どんなに頑張っても口から出てきてはくれなかった。
春香を傷つけてでも、ここで別れる。
そう決めていたはずだったのに。
「バカ……
春香……おまえはアイドルなんだぞ。
それもドームをファンで埋め尽くすようなトップアイドル!
俺なんかと吊り合いが取れるわけがないだろ!」
「な……なに言ってるんですか!
ここまで来られたのは、
みんなプロデューサーさんのおかげだって、
さっき言ったばかりじゃないですか!
それに吊り合いとか、そんなの関係ないですよ!
私は、私はプロデューサーさんが……!!」
もう、限界だった。
せめて春香に最後まで言わせないように、俺は思い切り彼女を抱きしめる。
「プ、プロデューサーさん……」
「……俺が今まで、どれだけ我慢してきたと思ってるんだ。
ずっとずっと、こうしたかったんだぞ……」
「わ、私だって……そうです……」
控えめに、背中へ春香の手が回る。
指先が震えているのがわかった。
俺も人のことは言えないが。
「最後の最後で、今までの忍耐をパアにしてくれやがって」
「え、えへへ……
私の片思いだと思ってました」
「バカ……俺の気持ちも知らないで」
今まで抑えつけていた、春香への想いが溢れ出す。
「一年前までは、俺だけのアイドルだったのに。
今じゃもう、俺の手の届かない場所に行っちまって……」
「私たち、いつだって一緒だったじゃないですか。
今だって、私はプロデューサーさんの腕の中」
言いながら、春香の手が俺の背中をやさしく撫でる。
愛しさに、春香を抱く腕に更に力がこもる。
「っ、プロデューサーさん……
ちょっと苦しいですよぉ」
「ごめん」
謝りながらも、腕の力を緩めることができない。
夜の外気に冷やされても、なお暖かい春香の体。
その柔らかさ、汗に混じる石鹸の香りに、
狂わされないように、俺は必死だった。
……ここまでなら、トップアイドルと担当プロデューサーが、
引退コンサートの大成功に喜びのハグ、で済む。
だが、これ以上は……。
「ごめんな、春香。
俺はまだ、おまえの気持ちに応えてやれない」
「……私がアイドルだから、ですか?」
「そうだ」
「…」
今、もし春香が、
『それなら私、アイドルやめます』
なんて言いだしたら、止められない。
俺だけの春香で居て欲しい。
春香を独り占めしたい。
それが包み隠さない、俺の願望だからだ。
……だが、俺は―――天海春香の、プロデューサーなんだ。
だから、春香の言葉を待たずに続ける。
「今は、まだ。
でも、何年後か……
春香が本当に引退する時まで、
俺は今腕の中に居る春香のことを忘れない。
一秒たりとも、絶対に」
「……プロデューサーさん」
それが今の俺が春香に伝えられる、ただ一つの想いだった。
「本当はな、今だって、怖くてしょうがないんだ。
春香の新しいプロデューサーが、俺なんかより よっぽど有能なヤツだったら、
春香は俺のことを忘れて、そいつを好きになっちゃうんじゃないか、って」
「ふふ、そんなこと ありえませんよ」
「たまたま俺が、春香の一番近くに居た だけなんじゃないかって……」
「むっ。 プロデューサーさん、それって私に失礼ですよ」
胸元に顔を埋めていた春香が体を離し、
すねたような表情で俺を にらむ。
「初めての仕事が決まった時、自分のことみたいに一緒に喜んでくれて。
オーディションに落ちた時は、泣きそうな私を励ましてくれて……
もう負けないようにって、一生懸命レッスンに付き合ってくれて。
私の大切な思い出は、みんなみんなプロデューサーさんといっしょに作ったものです。
それを忘れるなんて、絶対にありません!」
春香の言葉に、顔が赤くなるのを感じた。
それを目ざとく見つけられたらしく、からかうような言葉が続く。
「でも、プロデューサーさんが心配なら、
新しいプロデューサーさんは女の人にしてもらってもいいですよ?」
「わかったよ、もうわかった。
俺が悪かったから許してくれ」
「もう、心配なのは私の方なんですからねっ!」
「ははは、それこそ大丈夫だよ。
俺みたいなのを好きになる物好き、春香以外に居ないだろ?」
「そういう所が心配なんですっ!」
むくれる春香を、再び抱きしめる。
決意を込めて、さらに強く。
「春香がいつか、アイドルを辞めて普通の女の子になるまで、
俺は ずっと待ってるから。
その時まで、春香の気持ちが変わってなかったら……」
「…………………。
変わってなかったら?」
続きを言うのが恥ずかしくなってやめた。
「……春香の気持ちが変わってなかったら、
この話の続きをしよう」
「もう!
なんですかそれーっ!」
うまいことお茶を濁したつもりだったが、
春香は納得いかないようだった。
「……変わるわけないですっ。プロデューサーさんは、
今も、そして、これからも……」
「私にとって、生涯ただひとりの、代わりの
きかない人ですから」
「はい」
ある晴れた昼下がり、社長室にて。
俺はデスクに座る社長と向き合っていた。
来週、いよいよ。
俺の手がけてきたアイドル、天海春香の引退コンサートが行われる。
「本当に、これでよかったのかね?」
「……春香には、すまないと思っています」
引退を決めたのは、春香本人でも、社長でもない。
俺だ。
実際には、俺の 「引退させるべき」 という意見を、
社長が聞き入れたわけだが。
「天海くんの事もあるが……私は、君に聞いているのだ」
「………………………」
俺は周囲から朴念仁と言われている。
自分でもデリカシーに欠ける所が少なくないと自覚しているし、
そのことで人を怒らせることも しばしばある。
数ヶ月前の、大型ライブの前日。
その日は、当然 庶務に追われて忙しく、
自分でも忘れていたのだが、俺の誕生日だった。
そのことを思い出したのは、
春香が俺に巨大なケーキを作って持ってきてくれたからだ。
……俺へのプレゼントだとはっきり言われるまで、気づかなかったが。
もちろん春香も、ライブまでに他の雑多な仕事をこなしつつ、
綿密なレッスンを重ねて、体力的には限界だったはずだ。
こんな力作を作ってる暇があるなら、少し休んだらどうだ?
と言ったら、春香に泣きそうな顔をされたのを思い出す。
案の定、翌日のライブは散々な結果だった。
普段ならミスしないステップを踏み外したり、
キーを外していることに気づかないまま歌を歌い続けたり。
それでも なんとかアンコールまでをクリアし、
ライブ終了と同時に ぶっ倒れてしまったほどだ。
俺のために春香が相当な無理をしたのは、明らかだった。
さすがの俺も、その時に気づいた。
あまりにもまっすぐな、春香の俺への想い。
そして同時に、春香は仕事と恋を同時に こなせるほど器用な子ではない、ということに。
春香の引退を考え出したのは、その時からだ。
俺が彼女のプロデュースから外れる形で別れた後、
しばらく気持ちの整理をつけた後で、再スタートしてくれれば―――
「……すみません、社長。
様々なご助力をいただいて、ようやくトップアイドルまで登りつめて……
これから、って時に」
「……………………」
社長は嘆息して立ち上がると、
窓に向かい、ブラインドを上げる。
日差しに照らされても なお黒いスーツの背中。
「確かに、私の立場としては残念な事ではある。
しかし、あまり私を悪者にせんでくれたまえ。
アイドルの宿命とはいえ……
人並みに自由恋愛もできない彼女らを、
心苦しく思っているのは私も同じなのだ」
「……はい。
もちろん俺も、春香だって社長の厚意を理解しています」
「そうかね?
だが、君は この引退コンサートの後、
天海くんが復帰する事を前提で話を進めているではないか」
「春香は……今でも歌が好きだと、そう言ってくれました。
だからきっと、引退後も再びステージに立とうと思うでしょう」
シャッ
……と、ブラインドが閉まり、
再び社長が俺に向き直る。
「もし、彼女がアイドルを辞めてでも、
君の傍に居たいと願ったなら……君はどうするのかね?」
「―――――!!!」
もし、引退でナーバスになった春香が、そう言い出したら……
直情的な彼女には、有り得ない話ではなかった。
社長がまた一つ、嘆息する。
今度のは、明らかに呆れのニュアンスが入っていた。
「まだ一週間ある。
君自身の気持ちも、固めておくことだ」
「…………はい」
「君たちが どんな結論を出したとしても、
私は それを咎めたりは するまい。
それだけは言っておきたかった。 私の話は以上だ」
・
・
・
……春香は まだ若く、その上、輝かしい夢の真っ只中に居る。
俺ごときと その夢を、天秤にかけていいはずがない。
だから……彼女がアイドルで あり続けたいと願うなら、
俺の答えは決まっている。
・
・
・
――― 一週間後
―――ドームにて、天海春香引退コンサート
あの海 あの街角は
思い出に 残りそうで
この恋が 遊びならば
割り切れるのに 簡単じゃない
「「「「「う〜〜〜わっほい!!」」」」」
アンコール……
春香の "relations" がドームに響き渡る。
別れの曲にも関わらず、ユニークな曲調。
彼女ならではの、大胆なアレンジがファンに大ウケした新譜だ。
ラストに この曲を選ぶ辺りが、なんとも春香らしい。
『じゃあね』 なんて言わないで
『またね』 って言って
私のモノに ならなくていい
そばに居るだけでいい
ポタリ
スーツの胸元に、雨粒が落ちる。
……雨粒? ここはドームだぞ。
バカな。 なんで俺は、泣いているんだ?
歌が終わり、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
涙をぬぐい、ステージに目を戻すと、
春香も また、涙ぐんでいた。
・
・
・
全て やり遂げた春香を、舞台袖で迎える。
「おつかれさまでしたー! 大成功でしたね!
みんな、あんなに喜んでくれてっ!」
「ああ、素晴らしいフィナーレだったよ。
今日のこと、ファンは一生、忘れないと思う」
もちろん、春香の最初のファンである、俺だって。
「あのっ、プロデューサーさん。サヨナラする前に、
少し外、歩きませんか? 話したいことが」
「いいよ。……それじゃ、いこうか」
きっとこれが、俺と春香が過ごす、最後の時間になる。
そう思うと、春香と話したいこと……伝えたいことが、
数え切れないほどあったが、言葉として出てきてくれなかった。
言葉少なに、俺たちはドームを出る。
「ふぅ〜、外の空気、ひんやりしてて、気持ちいいです♪」
火照った体を冷やすように、
春香は手足を伸ばして外の空気に触れる。
衣装を着替え、いつもの服の春香だ。
「ステージの上はすごい熱気だったもんな。
……で、話したいことって?」
「あ、えっと……私、決めました。
これから先、どうするのか」
「お、明日へのヒント、見つけたのか?」
……もし。
もし、春香がアイドルで居続けることに疲れていたら……
「はい!私……。私、もうアイドル……」
「やめてもいいかなって、思ってました。
けど、やっぱり続けることにしますっ」
「……そうか」
……俺は、何を考えてるんだろうな。
「最後の曲、歌い終わって、思ったんです。
これだけの人が、私を応援してくれてる……」
「なら、このまま、走り続けるのもいいかなって。
すこし休んだら、また活動を再開します!」
そうだ、春香には、多くのファンが居る。
カムバックを望む声があれば、春香は それに応える。
でも、俺には……
「よし、がんばれ。応援してるからな」
俺は、明日以降 春香の担当を外れる。
だから、俺は春香を応援することしかできない。
すでに俺は、彼女のプロデューサーではないのだ。
それは自分にとって、物凄く悲しいことのように思えた。
急に春香の声のトーンが、緊張したものに変わる。
俺はもう胸がいっぱいで、黙って話を聞くことしかできない。
「そ、それで……ひとつ、お願いが」
「……言っても、大丈夫ですよね? あれだけ、
私のこと、大切にしてくれてたんだし。 よーし」
「プロデューサーさんっ。これからも、ずっと、
私といてください! お別れなんてイヤです!」
この一年間、春香と二人三脚で今日まで やってきた。
……俺だって、春香と別れたくない。
だけど……
「おいおい、いきなり、なんてことを……。
トップアイドルなんだし、俺の助けなんて……」
「必要ですよぉ! ここまでこられたのも、全部、
プロデューサーさんのおかげですし、それに……」
「も、もし、よかったら……私のこと、今より
もっと近いところに、置いてほしいなって」
……どうして、この子は こうストレートなんだ?
遠まわしに言ってくれれば、
鈍い俺なら、気づかずに……苦しまずに済んだのに。
俺の頭の中は真っ白になっていた。
もう、自分が何を言っているかすら わからない。
「は? って、おい、それ……
ヤバイ意味じゃないだろうな?」
「全然、ヤバくないです! だって、これって、
自然にわいてきた気持ちだしっ!」
「それぐらい……プロデューサーさんのそばに、
いたいんです……」
『そこまで、思ってくれるのは、うれしいけど
……ここからは、やっぱり別の道をいこう』
彼女を拒絶するために、用意しておいた言葉。
だが、それは どんなに頑張っても口から出てきてはくれなかった。
春香を傷つけてでも、ここで別れる。
そう決めていたはずだったのに。
「バカ……
春香……おまえはアイドルなんだぞ。
それもドームをファンで埋め尽くすようなトップアイドル!
俺なんかと吊り合いが取れるわけがないだろ!」
「な……なに言ってるんですか!
ここまで来られたのは、
みんなプロデューサーさんのおかげだって、
さっき言ったばかりじゃないですか!
それに吊り合いとか、そんなの関係ないですよ!
私は、私はプロデューサーさんが……!!」
もう、限界だった。
せめて春香に最後まで言わせないように、俺は思い切り彼女を抱きしめる。
「プ、プロデューサーさん……」
「……俺が今まで、どれだけ我慢してきたと思ってるんだ。
ずっとずっと、こうしたかったんだぞ……」
「わ、私だって……そうです……」
控えめに、背中へ春香の手が回る。
指先が震えているのがわかった。
俺も人のことは言えないが。
「最後の最後で、今までの忍耐をパアにしてくれやがって」
「え、えへへ……
私の片思いだと思ってました」
「バカ……俺の気持ちも知らないで」
今まで抑えつけていた、春香への想いが溢れ出す。
「一年前までは、俺だけのアイドルだったのに。
今じゃもう、俺の手の届かない場所に行っちまって……」
「私たち、いつだって一緒だったじゃないですか。
今だって、私はプロデューサーさんの腕の中」
言いながら、春香の手が俺の背中をやさしく撫でる。
愛しさに、春香を抱く腕に更に力がこもる。
「っ、プロデューサーさん……
ちょっと苦しいですよぉ」
「ごめん」
謝りながらも、腕の力を緩めることができない。
夜の外気に冷やされても、なお暖かい春香の体。
その柔らかさ、汗に混じる石鹸の香りに、
狂わされないように、俺は必死だった。
……ここまでなら、トップアイドルと担当プロデューサーが、
引退コンサートの大成功に喜びのハグ、で済む。
だが、これ以上は……。
「ごめんな、春香。
俺はまだ、おまえの気持ちに応えてやれない」
「……私がアイドルだから、ですか?」
「そうだ」
「…」
今、もし春香が、
『それなら私、アイドルやめます』
なんて言いだしたら、止められない。
俺だけの春香で居て欲しい。
春香を独り占めしたい。
それが包み隠さない、俺の願望だからだ。
……だが、俺は―――天海春香の、プロデューサーなんだ。
だから、春香の言葉を待たずに続ける。
「今は、まだ。
でも、何年後か……
春香が本当に引退する時まで、
俺は今腕の中に居る春香のことを忘れない。
一秒たりとも、絶対に」
「……プロデューサーさん」
それが今の俺が春香に伝えられる、ただ一つの想いだった。
「本当はな、今だって、怖くてしょうがないんだ。
春香の新しいプロデューサーが、俺なんかより よっぽど有能なヤツだったら、
春香は俺のことを忘れて、そいつを好きになっちゃうんじゃないか、って」
「ふふ、そんなこと ありえませんよ」
「たまたま俺が、春香の一番近くに居た だけなんじゃないかって……」
「むっ。 プロデューサーさん、それって私に失礼ですよ」
胸元に顔を埋めていた春香が体を離し、
すねたような表情で俺を にらむ。
「初めての仕事が決まった時、自分のことみたいに一緒に喜んでくれて。
オーディションに落ちた時は、泣きそうな私を励ましてくれて……
もう負けないようにって、一生懸命レッスンに付き合ってくれて。
私の大切な思い出は、みんなみんなプロデューサーさんといっしょに作ったものです。
それを忘れるなんて、絶対にありません!」
春香の言葉に、顔が赤くなるのを感じた。
それを目ざとく見つけられたらしく、からかうような言葉が続く。
「でも、プロデューサーさんが心配なら、
新しいプロデューサーさんは女の人にしてもらってもいいですよ?」
「わかったよ、もうわかった。
俺が悪かったから許してくれ」
「もう、心配なのは私の方なんですからねっ!」
「ははは、それこそ大丈夫だよ。
俺みたいなのを好きになる物好き、春香以外に居ないだろ?」
「そういう所が心配なんですっ!」
むくれる春香を、再び抱きしめる。
決意を込めて、さらに強く。
「春香がいつか、アイドルを辞めて普通の女の子になるまで、
俺は ずっと待ってるから。
その時まで、春香の気持ちが変わってなかったら……」
「…………………。
変わってなかったら?」
続きを言うのが恥ずかしくなってやめた。
「……春香の気持ちが変わってなかったら、
この話の続きをしよう」
「もう!
なんですかそれーっ!」
うまいことお茶を濁したつもりだったが、
春香は納得いかないようだった。
「……変わるわけないですっ。プロデューサーさんは、
今も、そして、これからも……」
「私にとって、生涯ただひとりの、代わりの
きかない人ですから」
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